80年続く連続ドラマを一緒に見ないか?

野球は人生そのもの。そういうシーンに出くわすと涙もろくなる年頃のプロ野球観戦記。タイトルは中日ファンの作家である奥田英朗さんの名言を一部お借りしています。

2016年7月3日 7年ぶりのエリーゼのために

ロッテ応援団のジントシオ氏が勇退すると聞いたとき、とても驚いた。
2016年の新しい団長が旧応援歌を復活すると発表したとき、さらに驚いた。
今シーズンは必ず幕張に行こうと心に決めた。
 
 
待っていたその瞬間は4回裏に訪れた。
2アウト2塁3塁から田村龍弘がセンターへツーベースを放ち、ロッテが2点先制。
トランペットが「エリーゼのために」を奏でる。
その曲に合わせて「千葉!ロッテ!マリーンズ!」の大声援が響き渡る。
先制の喜びが伝わってくる。
 
「ああ、違和感ないな」と最初に思った。
「やっぱりこの球場に、この応援は似合う」と思った。
7年ぶりに球場で聞いた「エリーゼのために」はそれほど自然だった。
この応援は、2009年を最後に封印されていたのだ。
 
2009年、不穏な空気はシーズン当初からあった。
当時の監督、ボビー・バレンタインが2009年いっぱいで退団することが取りざたされ、それに反発した一部のファン(MVPという団体だ)が激しいフロント批判を行っていた。
2009年9月25日、MVPは、マリンスタジアムのライトスタンドにフロントを汚い言葉で罵った横断幕を掲げた。
その翌日はさらにエスカレートし、球団フロントの名前とともに「全員死刑」という言葉を書いた横断幕を掲げた。
その日、ヒーローインタビューに選ばれたロッテの一番打者、西岡剛はライトスタンドに呼びかけた。
「スタンドの歓声を聞いて、大人になったらこういう所でプレーをしたいと思って頑張っている子供達もいます。その子達の夢を崩さないでください。」
その訴えに対してMVPが出した答えは、西岡剛の応援をボイコットすることだった。
 
2009年9月27日、マリンスタジアムのライトスタンドには、西岡剛を中傷する横断幕が掲げられた。
西岡剛が打席に立っても、外野応援団はトランペットも太鼓も叩かず、応援を一切行わなかった。
それ以外のライトスタンドのファンは大声で剛コールを送り、自主的に応援を始めた。
応援団は、そのファンの応援を邪魔するかのように無関係な音を出す。
その邪魔な音をかき消すために、ファンの声援はますます大きくなる。
見かねた対戦相手のオリックス応援団がロッテファンの声援を太鼓でアシストする。
ロッテの応援団はトランペットでアウトコールを奏でる。
ついにMVPとロッテ外野応援団に対して、帰れコールが巻き起こる。
この日のマリンスタジアムはカオスだった。
 
MVPと外野応援団は2009年限りで解散し、翌年からは2004年まで応援団長を務めていたジントシオ氏がロッテの応援団に復帰した。
ジントシオ氏はMVP時代のほとんどの応援を封印した。
そのことについて批判を浴びせるファンもいたが、身勝手な自己主張を続けていたMVPを断つにはそうするしかなかったのだろう。
あの難しい時期の応援団長を引き受けたジントシオ氏には頭が上がらない。
そして新しい応援団を育て上げ、今回のバトンタッチになったのだろう。
 
新しい応援団長は旧応援歌復活について「歴史を繋げる」という表現をしている。
しかし、応援歌を復活させただけでは歴史は繋がらないとも言っている。
大切なのは、皆が優勝へ向け気持ちを合わせて応援することです。そうすることで、初めて歴史は繋がると思います。」
 
ロッテの応援歌の「マリンに集う我ら」という歌が好きだ。
  ♪千葉マリンに集う我らと 波の彼方 同じ夢を誓う
選手とファン。ファンの中にも毎試合通うファンもいれば、年に一回来れるか来れないかのファンもいる。
いろいろな立場の人がいろいろな場所から同じ球場に集まって同じ夢を見る。
大好きな球団の大好きな選手の笑顔が見たい。シーズン最後に最高の喜びを皆で味わいたい。
そんなシンプルな夢だ。
 
2016年7月3日、私はあの悲しい日と同じ組み合わせ、ロッテ×オリックス戦を見た。
皆が自分の応援するチームを応援していた。
ロッテは2009年のあの日を知らない新しいファンも古くからのファンも一緒になって、ロッテ特有の一体感のある応援をしていた。
オリックスはプロ初出場の園部が決勝タイムリーを含む2安打を放ち、新しい時代を感じさせた。
悲しい記憶を乗り越えて、今日も私たちは球場で夢を見る。

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